2010-06

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「過」道(国道)、「険」道(県道)、「死」道(市道)と揶揄されていた頃のお話

T2000の車検取得を報告するため、筒井さんのところへ

すると、T2000が走っていた頃の話を教えていただきましたので、まとめて紹介したいと思います。

ということで、本日のお題は

「高度経済成長前後の日本における物流と運転手の仕事」です。

語り手はギャラリー湯の山みちの筒井さん。

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筒井さんは、昭和15年(紀元2600年)製造のマツダHB号からトラック一筋のプロドライバーです。

○運転手と助手
運転手は偉かった。荷役はみんな助手の仕事。
運転手は荷役が終わるまで休憩。手伝わない。

助手の良し悪しで仕事のはかどりが違う。
生ハン・過積載・ノンシンクロのトラックを田舎の狭い道でバックさせる。
助手がマトモだと、ぶつかる前に知らせてくれる。ボンクラだとぶつかるまで何も言わない。

○半浮動
バタコが半浮動(デフにベアリングが1個)の時は、よくシャフトが折れてね。
予備のシャフトを積んでる運転手がよーさんおったわ。
ちょっと繋ぐのに失敗して、力が掛かったらポキッと折れるんだ。
運転手は技術職だったんだ。

今みたいに女の子がケータイ片手にホイホイと車を運転できるなんて夢にも思わなかったよ。

○セルが付いた
日通の営業所に新車のマツダがやってきたとき。
運転手連中が騒いでいた。

「このバタコ、一発でエンジンが掛かる。オレ、トラックやめてバタコの運転手しようかな」

セルが付いて一発始動できるバタコ(角ハン)は画期的な発明品だったそうだ。

まだまだツーマン乗務が当たり前の時代。
冬の寒いときにクランクを回して始動させるのは、想像以上の重労働だから、セルはありがたかったそうだ。

○ハイドロマスター
車を売りに行くとき「これはなぁ、ハイドロが付いとるんや」
この一言で値段が全然違ったそうだ。
ハイドロの中古がでたと聞けば、運転手が血眼になって取り合ったとか。

ハイドロがつく前、有馬の坂を過積載で下っていたときは大変だった。
上りは、出始めの観光バスが徒党を組んでやってくる。こっちはブレーキも効かない・ハンドルも重い過積載のトラック
それでも、何度となく有馬の坂を行ったり来たりした。

あの頃は、まだ若かった。

○リーフの1番が・・・
国道2号の大阪だった。橋を渡ったときだった。

当時は地下水の汲みすぎで地盤沈下が進んでた。

橋の基礎はシッカリしている。道は地盤沈下してた。
だから、基礎と道の堺が段差になっていて、気づかずに突っ込んでしもうた。

分かっていれば、ゆっくり行ってたけど通り過ぎてから気が付いた。

ドーンとなって、降りてみればリーフの1番が折れてた。
1番だから、走れない。2番3番なら走れるけど、1番だと無理だ。

1人で荷物を降ろして、マンボ(リン木)を荷台まで組んで、針金で固定して走ったよ。

それでも、怒られなかったね。
まだ、車が少ない頃だったから。

○制限速度35km/h
国道の制限速度が35km/hだった。
それでも、お巡りさんはスピード違反の取締りをしていたな。
35km/hだから、45km/hだったら捕まる。
そんな頃から、ネズミ捕りはあったんだ。

まだ、国道43号が湿地で国道2号しかなかった頃だった。

以上

次回「怪物・トクサン号」の予定
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プロフィール

Big Muski

Author:Big Muski
石油発動機から飛躍して、自動車第一号がオート三輪

しかも、メジャーなミゼットではなくケサブローと思って購入したのがT600・・
恐らくT1100に次ぐマイナー車でしょう。

つづいて、T2000を導入。2010/6/1に車検を取得し、我が家で唯一の道を走れる車になりました。

最近ご無沙汰のT600はブレーキの固着が直り、そのまま1,000kmの彼方・・陸奥へ旅立ちました。
元気になって帰って来いよ(๑╹◡╹๑)ノ゙

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